昭和〜平成初期の年末年始と、いまの年末年始。閉まっていた街の静けさが恋しくなる話
- Takashi Fukunaga
- 2025年12月25日
- 読了時間: 3分
年末年始の休業日を増やすサービス業が増えているというニュースを見かけました。
個人的にはいい流れだなと思う反面、ふと昔の年末年始を思い出して、ちょっとだけ胸がキュッとなります。
昭和から平成のはじめ頃って、年末年始は本当に街が静かだった印象があります。
商店街も、スーパーも、飲食店も、だいたい閉まっている。
今みたいに困ったらどこか開いているという安心感は薄くて、だからこそ年末は買い出しが一大イベントでした。
足りないものがないか何度も確認して、家族で袋を抱えて帰って、これで三が日は乗り切れるみたいな妙な達成感があった気がします。
不便なのに、当時はそれが当たり前で、むしろ年が変わる区切りを体ごと受け止めていた感じがありました。
昔の良さって、便利さではなく、社会全体がいったん足を止める空気だったのかもしれません。
仕事の電話が鳴らない。
どこへ行っても人が少ない。
友だちも親戚も今は休みという前提で動いている。
その世の中が同じテンポで休んでいる感じは、いま思うとかなり贅沢です。
今はサービスが細かく途切れず続いていて、ありがたい反面、気づかないうちに気が張ってしまうことがあります。
年末年始なのに、頭のどこかがいつでも対応できるモードのまま、みたいな。
それに昔の年末年始には、ちゃんと暇がありました。
テレビの特番をぼーっと見て、こたつでみかんを食べて、年賀状を眺めて、初詣に行けば寒さと屋台のにおいと、妙に澄んだ空気だけが記憶に残っていたりします。
今みたいに何でも選べるわけじゃないから、やることが限られていて、限られているからこそ家の中の時間が濃くなる。
あのやることの少なさが、いちばんの贅沢だったのかもしれません。
もちろん、いまの年末年始が悪いと言いたいわけではありません。
今は選べる時代です。
開いているお店もあるし、配送も止まらないことが多いし、困ったらネットで何とかなる。
生活の安心感は段違いで、助かっている人も多いし、私もその一人です。
働き方も家族の形も多様になって、全員が同じ休み方をしなくていい、というのはとても自然なことだと思います。
ただ、その便利さは、誰かが動いてくれているから成り立つものでもあります。
だから最近、休業日を増やす動きが出てきたのを聞くと、素直にいいぞいいぞと思ってしまいます。
年末年始くらい、もう少し堂々と止まっていい。
開いている開いていないを選べるのも大事だけれど、そもそも世の中が一緒に休むという体験も、やっぱり捨てがたいんですよね。
昔が絶対に良かった、という話ではありません。
でも、年末年始に街が少し静かになると、あの頃の空気がふっと戻ってくる気がします。
店が閉まっていて、選択肢が少なくて、暇で、でもなぜか安心して、家の匂いがして、今年も終わるなあって、ちゃんと感じられる。
そんな年末年始が、私はけっこう好きでした。
そして今も、ほんの少しでも、そういう静けさを取り戻せるなら嬉しいなと思っています。

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